広島県指定重要文化財

明王院書院

建立 江戸時代初期(伝1621年 元和7年)

書院は庫裡(書院に向かい左側)とともに、1621年(元和7年)に福山城藩主初代水野勝成が、福山城の一部と同様に、神辺城から移築再建したものと伝えられています。1962年(昭和37年)に共に県重文に指定されました。

書院は、平面を田の字で四つの部屋に分けてあり、四周を広縁と廊下で取り囲んでいます。北東側の8畳は貴賓の間で床、棚、付書院を備えています。1656年(明暦2年) に徳川家光の位牌堂に転用されましたが、1963年(昭和38年)解体修理時に元の姿に復元されています(ご位牌は現在本堂脇陣へ安置されています)。               

鴨居には、江戸時代の俳人 野々口立圃が描いた「三十六歌仙絵扁額(へんがく)」があり、当時の状態で保存された扁額は、全国でも非常に珍しいものです。

庫裡の小屋組みは古式で規模も雄大で、玄関や板敷きの広間の天井に露出されています。

杉戸などに描かれた虎の絵は狩野派のものと言われています。

 

( 参考文献:広島県立歴史博物館編 「明王院 その歴史と文化」 85頁 資料番号62)

内部非公開(不定期で第三土曜日に特別公開)

 

 

写真撮影:明王院を愛する会