明王院五重塔ご本尊弥勒菩薩解体中に見つかった「印仏」に関する講演

濱田宣さん(前徳島文理大学教授)が8月10日(土)に草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)で「ひろしまの仏像−魅力、時代、地域性−」と題し、仏印のことを含め、明王院本堂のご本尊、五重塔内諸像などについて講演をされました。

濱田先生にお願いして、ご講演の中の印仏について分かり易く加筆し寄稿いただきました。なお、本内容の転載はご遠慮ください。ご質問などある場合は、明王院を愛する会代表の三谷までメール(uksj-mitani★sky.megaegg.ne.jp)(★は@に変えてください)でお問い合わせください。濱田先生のご意向を聞いておつなぎします。

 

《弥勒菩薩像内納入品「印仏」の内容》 

・頭内空洞部から綴(つづ)り状になるもの2点、頭部前面眼部内から書状(断片)1点、計3点。

・印仏とは仏の姿を版に彫り、墨や朱を塗り、紙や布などに押捺(おうなつ)したもの。

(1)紙本(しほん)墨捺(ぼくなつ)印仏 1冊(切紙(きりかみ)10紙)

・紙縒(こよ)り綴(と)じ 縦23.5㎝ 横16.0㎝ 三体(さんたい)一版(いっぱん)

・釈迦如来:像高3.65㎝、全高4.4㎝ 薬師如来:像高3.75㎝、全高4.4㎝

 地蔵菩薩:像高3.6㎝、全高4.3㎝ ※像高は足下~頭頂、全高は台座下~光背頂部

・上端に二穴開け、紙縒りで簡易に綴じる。

・各紙に向かって右端に釈迦如来立像、中央に薬師如来立像、向かって左端に地蔵菩薩立像を三体一版として、四列五段に押捺する。

(2)紙本墨捺印仏 1冊(切紙24紙)

・紙縒り綴じ 縦13.5㎝ 横12.0㎝ 三体一版

・印仏の諸法量は(1)に準じる。

・上端に二穴開け、紙縒りで簡易に綴じる。

・印仏の内容は(1)に準じるが、押捺は三列二段とする。

・なお、紙面には金箔の小さな痕跡が見られるものが数枚あるため、本紙の大きさから勘案して、金箔の挟み紙であった可能性がある。→配布レジュメには未記載

(3)紙本墨書書状(一部墨捺印仏) 1紙(折紙)

・縦29.4㎝ 横24.2㎝(欠損部があるため最大長)

・一紙を半折りして、片面の上に五行の文面と下に二行の文面(日付含む)、その反対面の上に(1)・(2)と同様に三体一版を五列三段に押捺とともに二行の文面(日付・名前・花押あり)、下に六行の文面を書す。不明箇所が多いが、太刀の鞘(さや)についての記載と見られる。末尾の日付等から誰かに宛てた書状か。

 

《印仏の学術的評価》

・①釈迦如来は施無畏(せむい)・与願(よがん)の印相(いんそう)、②薬師如来は左手に薬壺(やっこ)を捧持(ほうじ)、③地蔵菩薩は左手に宝珠(ほうじゅ)を捧持し、右手は錫杖(しゃくじょう)を執(と)る。

・印仏には仏の姿以外に、尊格名称、名号、結縁(けちえん)者(発願(ほつがん)者)名、願文(がんもん)、日付などの文字表記をして結縁勧進(かんじん)という目途を明らかにしているものがしばしば見られるが、本件に関して(1)(2)には文字表記はなく、

(3)のみ文字表記があるものの勧進内容を示すものではない。ただし、これら文字表記がないから勧進にはならないとはいえない。→配布レジュメには未記載

・なお、近年の研究では、結縁交名などの文字情報がない場合、個人的な作善や密教的な儀礼として制作される場合もあることが分かっており、現時点で本件の制作意図は特定できない。→配布レジュメには未記載

・本印仏(版)の制作時期は、14世紀代になるものと推定される。

・本印仏(版)の制作時期については、本像制作時期(貞和4年頃)に近い14世紀代になるものと推定される。→配布レジュメには未記載

・それは、各尊の像容が像高3.6~3.75㎝という小ぢんまりと程よくまとまりのある形に整えられている点が南北朝時代に比定される要件である。→配布レジュメには未記載

・14世紀中頃のものは体貌に遊びがなく、整然と整っている風があるとされる。→配布レジュメには未記載

・肉身線、着衣の輪郭線の伸びやかな点、袈裟の太く表される条の的確さも見受けられる。→配布レジュメには未記載

・また、蓮華座蓮弁(反り花)のややもったりとした形態が14世紀代のものに相当する。→配布レジュメには未記載

・南北朝時代以降になると、体貌がずんぐりとし、丸みを帯びてくるものが増えてくるとされ、本印仏はその端境期にあるものともいえる。→配布レジュメには未記載

・本印仏に近い時期の遺例として、また作風が類似するものとして、広島県内では福山市・胎蔵寺所蔵の広島県重要文化財・木造釈迦如来坐像の像内納入品の印仏(貞和3年(1347))がある(阿 弥陀如来坐像・観音菩薩坐像:全高(台座下~光背頂部)4.5㎝)。→配布レジュメには未記載

・多くの印仏は特定の一尊のみを複数押捺するのが一般的であるが、本印仏は「釈迦如来・薬師如来・地蔵菩薩」の三体一版になる、異なる尊格を並列させて一版とする極めて希有な遺例。

・三重県・善教寺所蔵の重要文化財・木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代・仁治2年(1241)作)の印仏は「阿弥陀如来立像と十一面観音菩薩立像」二体を縦に並べて一版。

・奈良県・元興寺に伝存する「薬師如来立像・阿弥陀如来立像・地蔵菩薩立像」三体一版で押捺する(14世紀末~15世紀初作とされる)。

・神奈川県・正眼寺所蔵の重要文化財・木造地蔵菩薩立像(鎌倉時代・康元元年(1256)作)の印仏は三体一版ではないが、「地蔵菩薩立像・阿弥陀如来立像・観音菩薩立像」を押捺する。

・本印仏の「釈迦如来・薬師如来・地蔵菩薩」の意味することは、釈迦如来は「過去世」、薬師如来は「現世」、地蔵菩薩は六道救済のような死後に生まれ変わる世界での救済という意味合いか。

・仏教でいう「三世(さんぜ)」つまり「過去世・現在世・未来世」にわたって存在する一切の仏を表すことを意味する(三世仏といい、各尊が過去・現在・未来の教主を表す)。

※地蔵菩薩は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊で、釈尊が入滅(にゅうめつ)してから弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代とされる56億7千万年の期間、衆生(しゅじょう)を救済することを釈迦から委ねられたとされる。

【参考】広島県内での印仏の遺例

・重要文化財 木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(善光寺式阿弥陀三尊)/福山市鞆町 安国寺

  鎌倉時代 文永11年(1274) 印仏「毘沙門天立像」

・広島県重要文化財 木造阿弥陀如来及び両脇侍立像/尾道市東久保町 西郷寺

  鎌倉時代 弘安8年(1285) 印仏「阿弥陀如来立像」

・広島県重要文化財 木造十一面観音菩薩立像/呉市安浦町 西福寺

  鎌倉時代 正和7年(1318) 印仏「十一面観音菩薩立像」

・広島県重要文化財 木造釈迦如来坐像/福山市北吉津町 胎蔵寺

  南北朝時代 貞和3年(1347) 印仏「阿弥陀如来坐像」と「観音菩薩坐像」

 


五重塔三尊仏《弥勒菩薩・不動明王・愛染明王》

-各尊像の仏像史上の位置付けと西大寺流律宗との関連性-

徳島文理大学文学部  教授  濱田 宣

下記論文は、著作権法で保護されております。画像、文章等の無断使用は禁じております。

印刷も禁じております。